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年をとると、一年たつのがはやいと古老たちが言っていたのを、他人事に聞いていたが、その通りだと思う。私もシニアになった。 ポケットカレンダーを取り出し今年のはじめからの、過ぎ去った日々の足どりを辿ってみると、忙しい一年だったと思う。 今年の3月に、準備に長いことかかった2冊の著書を、ようやく出版することができた。
この間、夜のクリスマスの飾りの灯を見に行ったら、「NOEL」と大きくイルミネーションをしている家があった。 妻が、あれはクリスマスということと聞くので、そうだと答えておいた。 私の理解ではあの言葉はフランス語で、もともとはラテン語の「NATAL」(出産、分娩)から来ていると習った。
冬至は12月21日だと日本の暦には書いてある。 同じ日、アメリカのカレンダーには「Winter Begins」とある。しかし日本の暦には「立冬」という日もあって、これは11月8日ごろである。実はこの日が冬のはじめで、和英辞典にも「First Day of Winter」とある。
12月9日は「漱石忌」である。文字通り、夏目漱石の命日に当たる。彼は大正5(1916)年、50歳でみまかった。 近代の日本文学作家の中で、古い作家で今日まで読みつがれている作家といえば、なんといっても漱石である。 彼の代表作といえば「吾輩は猫である」と「坊ちゃん」の題名は誰でも知っている。一見ユーモラスな作品であるが、その諧謔(かいぎゃく)な筆致の裏に、するどい人間観察と人生観をひそめている。
冬の寒い季節、特に年の暮れになると、破れ障子から冷たい風が入ってくる。それに新しい年を迎える準備として、昔はどこの家でも障子の張り替えをしたものだ。 今の日本はモダンなデザインの家ばかりで、障子のような建具は失われてしまった。
この間たまたまT夫人と話し込んでいた時、「フランク永井が亡くなりましたね」といったら、すぐさま 「ええ、一時代が過ぎ去ったという感じですね」と、仰言った。なるほど一時代が過ぎたとは、うまいことを言うなと、同感した。 私が学校を出て、東京で就職したのが1955年だから、フランク永井はデビューしたころで、57年に「有楽町で逢いましょう」で一躍スターになった。
紫式部が「源氏物語」を著したのは1008年のころだという。今年は、その1000年目にあたるというので、日本のマスコミはかまびすしい。 本紙にも日本の文化人のいろいろなコメントが掲載されて、ブームをあおっている。 「源氏物語」が世界的な文学作品であることは論を待たない。ここではそれを繰り返さない。 ところで光源氏は美男の典型だが、これとかかわった女性群は、おしなべて美女ばかりである。
アメリカに埋もれていた野田英夫という二世の画家の仕事を、日本の美術界に、大きく認知させたのは、本紙でもおなじみの窪島誠一郎さんである。 「野田英夫さがし」のためにアメリカに何度も足を運び、関係者にインタビューし、隠れていた作品に陽を当て、その生涯と作品を評価した。その長い道程は、これまでの彼の著作に語られているので、ここでは繰り返さない。
「昭和一ケタ族」という言葉を誰がいい出したのだろう。 ものの本を見ていたら、旧社会党の国会議員だった上田哲さんが編集した「昭和ヒトケタ第一学年」という本があるという。 だいぶ古い本らしい。私は手にとったことはない。ただその中に、医事評論家の水野肇さん(昭和2年生)が昭和一ケタ生まれの5大特徴を次のように挙げているという。 1、ダンスができない 2、英語がしゃべれない
八島太郎の生誕100年を祝う記念行事が、彼のふるさと根占(ねじめ)で開催された。 根占は今は町村合併で南大隅町と町名が変わっているが、九州の最南端、佐多岬に隣接する小さな町である。 その町から、世界にメッセージを発した児童絵本作家、八島太郎が生まれたことを、土地の人たちは誇りにしている。 それだけに、今回は実行委員会と南大隅町教育委員会、町立図書館が共催した。