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「にょぜがもん」は、2006年10月7日に始まり、今回で98回を迎えた。北米毎日から「コラムを書かないか」と話をもらってから2年3カ月あまりの歳月が流れたことに驚いてしまう。
大陸横断5日目、シカゴを後にしてI—80を西に、イリノイ州、アイオワ州を横切ってネブラスカ州オマハに着いたのは夕方だった。600マイル近くのドライブだった。 ニューヨークを出発点に、カリフォルニア州を目指す大陸横断の旅も地図を眺めてみれば、オマハでちょうど中間といったところ。
日本人を疎外する何者かによってシカゴのアップタウン・プレイヤー劇場は全焼、日本人の集会はもはや困難かと思われた。1944年のことだった。
1937年4月に渡米した河野行道先生は、広島を発った時、26歳だった。カリフォルニア州ハンフォード仏教会に駐在したが、3年後、第二次大戦が勃発、要注意人物となってアーカンソー州のジェローム日系人収容所に収容され、日本人、日系人と生活を共にした。 収容所から解放されると同時に、念願だったシカゴの大都会を目指して開教伝道の旅に出ることになった。
大陸横断4日目、私の尊敬する3勇士の一人、河野行道先生にあいさつするため、シカゴのダウンタウンに向かって、ミシガン湖に沿ってドライブした。 私にとって、3勇士とは、戦前アメリカに渡った開教使(僧侶のこと)で、ニューヨーク仏教会の創立者、関法善師、デンバー仏教会の玉井好孝師と河野師の3人を意味した。 ミシガン湖は、輝いてシカゴのダウンタウンを船のように浮かべて青々としていた。
ニューヨークから800マイルあまり、クリーブランド に着いた。 この時は、それから7年後に、クリーブランド仏教会に駐在することになるとは夢にも考えていなかった。
近くのモーテルに宿泊し、クリーブランドで、大陸横断旅行2日目の朝を迎えた。 ニューヨークからニュージャージー州、ペンシルべニア州を横切って800マイルあまり、よく走ってくれたフォードの中古車に感謝した。 クリーブランドは五大湖の一つ、エリー湖の南岸に沿って発達したオハイオ州北端の都市。西にデトロイト、東にピッツバーグ、南にコロンバスの各都市が存在する鉄鋼業の町でもある。
時々、反対方向から車がやってきて通り過ぎる。 水平線の彼方から、豆つぶのような玉が現れ、車の姿を見せて通り過ぎて行く。 ペンシルベニア州の平原は果てしなく広い。相変わらず、牛はゆっくりと歩き、のんべんだらりと寝そべっている。なんで急ぐのであろうかと牛馬に教えられスピードを落とす。 1970年、ニューヨークからサンフランシスコをめざす車の旅。蜃気楼が浮かんで、一直線の道も霞がかる。
エール大学神学部での2年間の修学を終えて、コネチカット州ニューヘブンの町を離れることになった。 世界の大都会、ニューヨーク・マンハッタンに移って、私の尊敬する関法善先生はじめ、ニューヨークに住む友人たちと再度、親交を温め、マンハッタンの町中をくまなく歩き回った。 各々特徴を持つ、ユニークな人々が住んでいるニューヨークの町であることを再確認した。日本からきた日本人もそうだった。
「地獄、天国、極楽、浄土の話を楽しく読まさせていただきました。『足ることを知れば、即ち浄土なり』とは面白いですね。それでは具体的に生きる方針として何か示して下さいませんか」という電話をいただいた。 いろいろな見方があるのだが、人間性の完成をめざして努力していく修行の一つとして六波羅蜜(ろくはらみつ)の道を心掛けていくことが役に立つのでは、と答えた。