08 - 26 - 2008

加川文一詩集、再び 古田和子さんが再版

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furuta.jpg 82年出版の詩集(右)と自ら再版した詩集を手にする古田さん

良いものは人の目に触れる

 よい詩を生み出すことだけに生涯徹した詩人、加川文一(かがわ・ぶんいち/1904〜81年)。同氏の詩集「加川文一詩集」(南加文芸社)をオークランド在住の古田和子さんが再版、第二次世界大戦中、強制収容所内で同人誌を立ち上げ、戦後も文芸誌創立など、日系文学の礎となった加川氏の功績が再び注目を集めている。
 「同じ時代を生きた、同じ一世として、加川さんの歌っている『誰もいないと知る孤独や痛み』が分かる」という古田さんは6年前、自身が投稿する同人誌「短調」で掲載された詩を見て、加川氏の存在を知った。一昨年、同人誌のメンバーとともに、ロサンゼルスにある加川氏の詩碑を見学、「短調」編纂者で、加川氏と生前交流があった山中眞知子さんのほか、加川氏とともに同人誌を手掛けた加屋良晴さん、山城正雄さん、そして、82年に出された手作りの「加川文一詩集」に出会った。
 加川氏を知る人だけに配られ、すでに絶版になってるその詩集を一部もらいうけた。その運命的な巡り会いに、「もらったからには放っておいてはいけない」と再版を試み、同年、活字版を完成させるに至った。
 山口県生まれの加川氏は14歳の時、カリフォルニアで庭師として働いていた父親の呼び寄せで渡米。その後、スタンフォード大の寄宿舎で働きながら、英詩、日本詩を独学、創作し、1930年、自作の英詩集「Hidden Flame(秘められた炎)」が米文学紙などで取り上げられたことで、一躍脚光を浴びた。
 第二次大戦中は、ツールレイク収容所に送られ、LAの文筆家、山城さんをはじめ、仲間とともに文芸誌「鉄柵」を創刊。収容所で経験した果てしない虚無や苦痛、絶やさず守り続けようとする自身の主張を詩にまとめた。
 終戦後は「鉄柵」メンバーらと立ち上げた同人誌「南加文芸」で作品を発表、仲間からの尊敬を集め、師と仰がれた。周囲からは詩集の出版を勧める声が当然のようにあったが、頑なに拒否。77歳でこの世を去るまで、その時その時に最高の詩を生み出すことだけに心血を注ぎ続けた。
 しかし、加川氏の死後、仲間たちは「詩集を作らなければいけない」という強い思いを抱き、編纂に取り組んだ。加川氏の死後1年たった82年、「鉄柵」時代から20年間ガリ版刷りで同人誌の製本を担ってきた加屋さんが「加川文一詩集」を完成させた。
 また、加川氏の功績を次世代に残すための詩碑建立にも、山城さんら仲間が尽力した。詩碑は2005年10月に完成、LA・リトル東京のホンダ・プラザの一角に加川氏の詩「海は光れり」と、加川氏の妻で歌人でもあった桐田しづさん(故人)の短歌が共に刻まれた。
 詩碑の建立を「歴史的」と、山城さんは当時、羅府新報に連載していたコラム「子豚買いに」の中で位置づけている。
 山城氏は「日系の歴史は、第二次世界大戦に戦った二世兵の忠誠と強制収容所だけしか口にせず、それ以前の移民史に対しては何も語りたがらない。(中略)自分たちの歩みの跡を、知らず知らずのうちに消して、空洞化している。その空洞を埋めるかのように、加川文一の詩碑が建ったのだ」(06年3月7日付・羅府新報)と、戦前から一世が築き上げた努力と哀愁の記憶を、何か形のある物として現代に残すことの意義の大きさを語っている。
 古田さんは「良いものは人の目に触れるべくして出来ている」といい、「私たちと同じような経験を持たない人でもそれぞれ、何か感じ入るところがあると思う」と30年の時を経てもなお古びることなく鮮烈に現代人に語りかけてくる詩人、加川文一の詩の力強さを語った。
(依田こな美)

 詩集購入希望者は古田和子さん、ファクス(510)653—6313、またはEメールkazuko.furuta@sbcglobal.netまで。

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